成熟した妥協2011年04月13日

 「妥協する」……この言葉を否定的に捉える人は多いのではないでしょうか。ぼくもそうでした、若い頃は。たいした才能も根性もないくせに、妥協は負けることでしかない、と思ってしまっていました。妥協を許さない、と言えばかっこよく聞こえる。
 しかし、ちょっと立ち止まって考えてみたいのです。妥協する——それは生きていくための、かなり大切な要素なんじゃないか。成熟したあり方として妥協する。わたしたちはそれを目指すべきなんじゃないか。その技術(小手先のテクニックではなく)を真剣に身につけるべきなんじゃないか。それはかなりの知恵と忍耐力を要求するものです。
 妥協しないことの方が、実は安易な道なのだと言うことに気づく必要がある。「妥協は負けだ」というのは、実は自分の浅はかさを正当化する口実でしかなかったような気がします。今振り返ってみると。そして周りを見回してみると。妥協しないことがいいのだと信じ込んで、自己主張・わがままを押し通してるだけ、ということがけっこう多いのですよ。
 現実は、家庭生活においても仕事においても、ほとんどが妥協で成り立っているものなのです。人生を、自分が勝つか他者が負けるかの二者択一的な単純な勝負としか考えられないと、多くの場面で不必要な敗北感やみみっちい優越感に支配されて、結局は惨めな人生を送ることになる。それよりも、すぐれた妥協をすることの方が、より大きな視野で見たときに、より多くの人が幸福になるし、ものごとがうまくいくし、自分にとっても利益がある。知恵ある妥協を実現できた者こそがほんとうの勝者なのではないでしょうか。
 妥協するという言葉への偏見をなくすことが肝要です。そして、日々の生活の中で訓練していくと言うことでしょうね。理屈じゃなく、失敗を重ねながら。それ以外に、成熟した妥協術を身につける道はなさそうです。

岸朝子さんのすごさ2010年10月09日


岸朝子さん、ご挨拶

左端は雁屋哲さん、他著名人の祝辞

 料理記者、食生活ジャーナリストとして有名な岸朝子さんが米寿を迎えられます。そのお祝いパーティーが昨日の夜、東京ドームホテルでありました。この方が社長をされている編集プロダクションの仕事が夏から続いているのですが、多大な恩恵を受けている僕も迷うことなく出席させていただきました。
 若いときから僕はずっとお世話になっているのです。今、ぼくの仕事に料理関係の仕事が多いのも、料理や食生活に関心を持つことができているのも、この方のおかげです。

 岸さんのすごさはいろいろありますが、その一つに抜群の記憶力と、あらゆる方へのさりげない気配りがあります。数千人の方とのおつきあいがあるのに、一人一人のことを忘れない。
 ぼくが数年間デザインの仕事から離れていて、現職に復帰したとき、久しぶりに挨拶に伺ったときも、プライベートな名前と話題をさらりと思い出して、岸さんの方から話されたのには、驚くとともに感激でした。夕べもそうでした。単なる挨拶ではなく、人の心の中にすっと入ってくる親しさや優しさがあるのです。あの飾らない人柄、聡明さ、頭の切り替えの速さにはただ驚くばかり。

 以前も書いたかもしれないけれど、もう一度紹介したいエピソードがあります。
 若い頃に、仕事で大迷惑をおかけしたことがあります。ぼくの仕事ぶりがあまりに遅く(理由は単なる怠慢)本の出版が遅れそうになり、担当の編集者にも叱られました。他の方の助けも借りて、その件はなんとか収拾がつきました。
 後日、お詫びに伺ったときに、岸さんはいつものようににこやかに迎えてくださり、こんなことを話してくださいました。
「プロの仕事で一番いいのは、質も良くて締切を守ること。二番目は、質はちょっと落ちても締切を守ること。質か締切かどっちかなら、締切が優先よ。いいのを作ろうと努力してるって言っても、そのために仕事が遅れるようではダメよ。それから、質も良くないし締切も守れないというのは、プロとして失格ね」
 以来、この言葉をいつも心に刻みつけて仕事をしています。まあ、若い頃よりは少しはましになったかな(えっ、変わらないって?)。
 レイアウトの基本とともに仕事の仕方について、様々なことを指導していただき、また今もなお励ましていただいているのです。


クレーと戦争2009年05月18日

 きのうのNHK「日曜美術館」はクレーの特集でした。クレーと第二次世界大戦の関連を軸に話を進めていました。今までに何度か彼の展覧会に行ったし、本も少し読んだことがあるので、クレーの作品や経歴についていくらかは知っているつもりでしたが、きのうの番組を見て、今までの鑑賞の仕方があまりに浅かったことに気づかされました。
 彼の作品がナチスによって退廃芸術と決めつけられ、没収されたり破壊されたりしたこと。芸術家としての存在を否定され、スイスに亡命せざるを得なかったこと。そこでも市民権を得られなかったこと。自分の病気も含めて、あらゆる困難に抗して、線と色彩で表現し続けたこと。そういうことはもちろん知ってはいたのですが、その過酷な生涯と作品との関係を今まで以上に心にとめて眺めることができました。そうすると、これまでただ配色の美しさだけに目を奪われていた絵や、今風のイラストのように受け止めていた天使の絵も、まったく違った意味合いを持って見えてくるのでした。
 美しい色彩や、素朴に見える線の中に、戦争やナチスに対する怒りが込められている。病気との闘いがある。それは奇跡的な現象のように思えます。凡人が想像するような、悲しみや怒りや批判の表現とはかなり異なるものだからです。「芸術は爆発だ」という言葉とは対極にある表現です。どうしてこんな風に描けてしまうのだろうと思ってしまいます。それはまた、日本の近代絵画には見られないものであるし。……いやいや、それも勉強不足かも知れない。もう少し詳しく見てみる必要がありそう。そのあたりは、また日を改めてお話ししたい気がします。
 まあ、考えてみれば、偉大な作家の仕事や生涯がそんなに浅いわけないんですよね。とかく凡人の犯しがちな過ちは、自分のレベルに引きずり下ろしてものごとを解釈してしまうことです。日々煩悩で生きてるぼくが、見えていないだけのこと。またひとつ自分の小ささが見えてきた。……と、まるで河島英五の歌みたいですが、そう思わされた時間でした。
 もう一度じっくりとクレーの絵を見つめていきます。

モンテーニュ『随想録 Essais』2009年04月23日

 モンテーニュ関連の本を読んでいます。2冊は人物評伝、1冊は『新選モンテーニュ随想録』(関根秀雄訳、白水社)。これは抄訳です。白水社刊の完訳本はかなり分厚い。岩波文庫(こちらは原二郎訳)でも6分冊あります。大学時代にフランス人の先生がある授業の中で、余談の中で「モンテーニュのエッセはぜひ読むといい」と言っていたのがずっと頭の中にあって、いつか読みたいと思っていたのです。
 ついでながら、高校時代の英語の先生が、「ゲーテの『ファウスト』は人生の必読書だ」と言ってたのも覚えているので、これもぜひ死ぬ前に読みたいと思っています。あ、もひとつついでに、『カラマーゾフの兄弟』も今まで何度も挫折しているので、読了したい。そう言えば、トールキンの『指輪物語』も、……と、こんなことを言い始めたら、きりがないなあ。

 どうしてこの時期にモンテーニュを読みたいと思ったか。人の世を生きることはなんてやっかいなんだろう、と感じることが多いからです。自分を含めて、人間て、なんてやっかいな存在なのか。中年を過ぎると、そんなことを繰り返し繰り返し思わされるようになる。そういうとき、人生を深い知恵で生きた人の言葉を聞きたいと思うわけです。今の時代を要領よく泳いで渡ろうという浅知恵はいつの世も流布するものだけれど、へんに心地いい言葉や、わかり易すぎる言葉には根本的に欺瞞があります。「真理はめったに純粋ではないし、決して単純ではない」(オスカー・ワイルド)という言葉こそ、真理です。偽物と本物を聞き分ける耳は持ちたいもの。
 そしてぼくは、古典を読みたいと思う。なぜかというと、現代人は自分たちの方が昔の人間よりも賢くて偉いんだと、根拠もなく思いこんでいるところがあるけれど、今の時代はただテクノロジーが発展しただけのこと。文明の発展は文化の発展とは違います。人間性は何千年も昔からほとんど変わっていないし、いにしえの人たちの中に、今のぼくたちよりもはるかに深く鋭く人間や世界を見ていた人たちが大勢いる。そう言う人たちに出会ったとき私たちは驚かざるを得ない。なんだ、こんなところに答えがあるじゃないか、と。そして、私たちは自分たちのちっぽけさをよりはっきりと知ることができる訳なのですね。
 優れた古典を読むと、あれ、これ今の時代のことを言ってるんじゃないかと思うことがあるんですよ。漱石の文明論集を読んだときもそう思いました。

 さて、モンテーニュの人物評伝と抄訳を読んでいて、ああ、これは『徒然草』や漱石の多くの著書のように、一生つきあいたい本だと思いました。どういう点がそう思わせるのか? そのひとつは中庸という考え方です。たとえば次のような言葉。
「偉大な霊魂を持った人とは、高く上がり前に進む人のことではなくて、むしろ自分を整え自分を制する人のことである。そういう人物は、すべて相当な程度のものを偉大とし、自らの高さを、高尚なものごとよりも中ぐらいの物事を愛することによって示す。いかにも人間らしく・それにふさわしく・ふるまうほど、うるわしく正しいことはない。いかにこの人生を良くそして自然に生活すべきかということほど、むずかしい学問はないのである。」
 引用し始めるといくらでも出てくるので、このひとつだけでやめておきますが、少なくともぼくは、いわゆる立派な人間などにはとてもなれないから、せめてこんな透徹した目と平静な心を持つことができたら、と思うのです。

手塚治虫先生についての話は尽きない2009年02月12日

 去る2月9日は手塚治虫先生の生誕80年・没後20年の命日と言うことで、今NHKでは手塚治虫特集番組をたくさん組んでいます。BS2の「手塚治虫・現代への問いかけ」が面白く、ついつい見てしまいます。昨日まで作家の高橋源一郎氏、建築家の安藤忠雄氏、医師・作家の海堂尊氏、といった方々がゲスト出演し、手塚作品について手塚眞さん、NHKアナウンサー渡辺あゆみさんとトークをしていました。今日のゲストは劇作家の野田秀樹氏です。
 各氏が専門分野の視点から手塚治虫を分析し批評するのですが、これが非常に面白い。そこからさらに手塚マンガの新しい魅力が発見され、改めて手塚先生の世界の広大さと奥深さを知るのです。

 手塚マンガの偉大さは、他の古典芸術と同じように、読む年齢ごとに新しい発見があると言うことです。ぼくは大学時代に、久しぶりに「鉄人28号」と「鉄腕アトム」を読み返したとき、子どものころは同じくらいに面白かった2つの作品が、決定的な質の差を持っていることを知り、驚いた覚えがあります。「鉄人28号」は子どもの時だけの、子どものためのエンタテインメントでした。しかし「鉄腕アトム」は違う。ワクワクする話の中に、世界や人間の真実がしっかりと描かれているのです。子ども向けの作品でありながら大人の鑑賞にも堪える。こういう作家はやはり空前節後なのでしょうね。

 ぼくがどれだけ手塚先生の影響を受けているかというと、第一番にイラストレーターなんぞをやっていると言う事実。子どものころ漫画家になろうと思って手塚先生の絵をまねして、毎日マンガを書いていました。それが今も自分の絵のタッチにしっかり残っています。丸っこい線。そこが、まわりの人たちからは「古くさい」と言われるのですが、今さら直しようがない。でも、これも先生の遺産の一つなのだと思い、大切にしていきましょう。
 しかし、絵柄だけでなく、人格形成においても、ぼくは手塚先生の作品から大きな影響を受けています。凡百の哲学書より「火の鳥」から、この世界や生きることについてどれだけ多くを学んだことか。「どろろ」「ブラックジャック」「アリと巨人」「きりひと讃歌」「アドルフに告ぐ」などからも。数え上げたらきりがありません。そのことをぼくは誇りに思っています。少なくとも手塚マンガのおかげでぼくが過ごした子ども時代、青年時代の多くの部分は希望や感動に満ちていたし、そのおかげで今の自分があるのだと。

 ところで今回初めて知ったこと。手塚先生の「塚」の字は「塚」ではなく「塚」なんだそうです。点がついている。

今度はワイエスも!2009年01月17日

 昨日、福田繁雄さんの訃報のことを書いたら、今朝はアンドリュー・ワイエスさんの訃報が目に飛び込んできました。何と言うことか。僕の尊敬する人たちがこんなに次々と亡くなるなんて。
 91歳。確かに大往生ではあるのだけれど、つい最近展覧会を見に行ったばかりだったこともあって、突然という印象が強いのです。画家には長寿の人が多いから、もっと生きていただきたかった。
 先日の展覧会では、近作は展示されていませんでした。これからは実質回顧展と言うことになってしまうのですね。寂しい気がします。
 合掌。

福田繁雄さんが亡くなられた2009年01月16日

 昨日の夕刊を見て、びっくり。グラフィックデザイナーの福田繁雄さんの訃報が。田中一光さんの訃報と同じくらい、ショックと寂しさを感じました。死去は11日とのこと。まだ76歳。くも膜下出血と言うから、超多忙の中での突然死だったのではないかと、勝手に推測しました。
 福田さんには何度かお会いしたことがあります。最初にお会いしたのは30年近く前。イラストレーターになりたい、ということを話したら、「じゃあ、ぼくみたいな一線で活躍しているプロに会えるのは嬉しいでしょう」とおっしゃっていたのが印象的でした。
 ぼくにとっては雲の上の存在なので、そんなに親しくお話をしたわけではありませんが、常に強い自負心をもって仕事をされているという印象を受けました。一時期、NHKのクイズ番組などテレビへの露出度が高くなり、福田さんのデザインはデザインに興味のない人たちにも周知されるようになりました。それは日本国内でのグラフィックデザインの位置を高めようという運動の一つだったようです。
 ぼくの兄が学生時代から福田さんの作品に心酔していたこともあり、ぼくもその影響で視覚トリックに興味を持つようになりました。その興味は今も続いていて、アイデアを考えるときの大きな柱になっています。
 日本のグラフィックデザインは、光琳のころから世界的なレベルを保っていると断言できますが、世界的に活躍されている日本のグラフィックデザイナーがまた一人、この世を去ってしまわれたのは、ほんとうに残念です。
 合掌。