被災地支援Tシャツ ― 2011年12月03日
日本基督教団西東京教区から、東日本大震災被災者支援Tシャツを販売することになり、デザインを担当させていただきました。最初に話が来たのが10月末、それから1か月以内にデータを仕上げるというものすごい急な仕事で、他の仕事も抱えていたため、スケジュール
的にはかなりハードでしたが、先月末にデータを予定どおり無事、入稿しました。
Facebook ではすでに
6日前(27日)に報告しました。Tシャツの製作は韓国の会社。生地がなかなか丈夫で、安くてお買い得です。納品は今月20日の予定です。どれも1枚1500円。
簡単にデザインの解説をいたします。
上の切り株の絵は、イザヤ書11章、エッサイの株とイメージを重ね合わせ、倒れた切り株から伸びてくる、復興の希望を表しています。これが今後、西東京教区の被災者支援のシンボルマークになるかもしれません(そういう意見が出ています。決定ではありません)。
下の花の絵は、サムエル記3章10節より。「僕(しもべ)は聴いています」を下敷きにして、被災者の声(と神様の声)に耳を傾けることで寄り添う姿勢を表しています。視覚的には「ルビンの壺」をモチーフに、対話の顔と希望の花を表しています。
自分としてはできあがりに満足しています。自己満足に陥らず、なるべくみんなに着てもらえる絵柄を作ったつもりです。
現物が届いたら、また掲載します。
印刷博物館、めっちゃ面白かった ― 2011年02月17日
今日、息子と印刷博物館へ行ってきました。飯田橋近くにあるトッパン小石川ビルに入っている博物館です。
グラフィックデザインやイラストの仕事をやっていくためには、当然、印刷の知識を身につけなくてはいけないのですが、実際に印刷所で作業を見たり、自分でやってみたりというチャンスはめったに得られません。今までに1、2度かな、見学したのは。もっと印刷のことを勉強したいと、いつも思っています。
この博物館へ行ったのは初めてだったのですが、こんなに面白いのならもっと早く行っておけば良かったと思いました。
展示物も興味深いものがたくさんあるのですが、目玉は、ワークショップ。活字で自分の好きな文を組んで、活版印刷機(上の写真)で印刷するのです。季節ごとに作るものが違うのですが、今は栞(下の写真)。
活版印刷には数年前から興味を持っていたのです。オフセット印刷が主流の今では、ほとんど廃れてしまったかに見える印刷技術ですが、コンピュータ時代の印刷では味わえない温かみがあります。何よりもあの「印圧」。プレスのあとが残って、文字や図柄がわずかにへこんで見えるでしょう。昔の印刷物はみんなあんなふうになっていたのですよ。
たった18文字を組んで印刷するだけですが、栞に刷り上がったときには、参加者全員、「おー!」と感激していました。ぼくも感激。手作りの味わいですね。ところで、息子は「論語」の文句を選んだのですが、一文字、活字がありませんと係の人に言われて別の文句に変更(それもまた「論語」から)、一人だけ後れを取っていました。凝りすぎなんだよ。
活字を拾ったり、組んだり、印刷機でガッシャンと押したりと、手間暇のかかる作業ですが、それがいいのですね。日ごろコンピュータで絵や文書を作って、プリンターであっという間に印刷されるけれど、そういうものでは決して味わえない感動があります。しかし木版画やプリントゴッコともまた違います。
実は今、欧米では活版印刷によるグリーティングカードが数年前から人気になっているようなのです。ぼくも、3、4年前にテレビで見ました。デザインはコンピュータを使うのだけれど、印刷は活版で。それが実にいい。何か僕にもできないだろうか、と以前から模索中なのです。
手始めにやってみたのが、今日のワークショップでした。ちなみに印刷した文は、ぼくが去年の春に詠んだ句です。

おめでとうカード ― 2011年02月12日
久しぶりに作品を掲載します。仕事では描いてるんですけど、ここにはなかなか登場しない。
これは、3月8日に発売予定の「教師の友 別冊」(教団出版局)の付録CDに収録される画像データとして描いたものです。
CS教師がそれぞれの用途に応じて使えるカードを、5人のイラストレーターが描いています。ぼくはもう1点、ペンテコステカード(2010年5月23日の記事参照)というキリスト教行事に合わせたものも出していますが、ここに掲載したカードは、キリスト教の行事とは関係なく、誰かの入学や卒業や結婚や就職などを祝うときに「おめでとう」を伝えるためのものです。
実は、この作品の提出が遅れに遅れて、編集の方にはご迷惑をおかけしていたのです。
先日、お電話がありまして「一両日中で間に合うようでしたらお願いしますが、他の絵も出してくださっていますから、間に合わなければ結構ですよ」と、ほんとうにやさしく気づかっていただきました。
しかし、それで諦めてはプロ失格。何のためにサッカーの試合を見ているんだ! 彼らのように、残り1秒でも諦めずに戦うんだ! (……って、どっか勘違いしてるかも)
それまでにもあれこれアイデアはあったのですが、いまいちピンとこなかったのです。で、最後通牒を受けた翌朝、皿洗いをしている最中にアイデアが浮かんだ。これだ!
自分の思い出、贈る相手の思い出を温め合うようなカードにしてはどうか。懐かしい絵や写真を広げたテーブルのように。で、今まで僕が描きためてきた作品から、趣旨にふさわしいものを選び出してレイアウトしました。画材やタッチが異なるものを、意識して選びました。
「おめでとう!」の言葉の前にある四角枠に、使う人がそれぞれ入学とか卒業とかの言葉を入れます。花の絵を中央においたのは、花を贈ることが「おめでとう」の基本だと思うから。
他のイラストレーターたちから出されるであろう絵柄を想定しつつ、それらとは違ったものを出すことでバリエーションをつけ、何より、クリスチャンじゃない人がいろんなシチュエーションで使えるようなもの、を目指しました。
2011年の年賀状 ― 2011年01月07日
今年の年賀状、お送りしたところにはほぼ届いた頃だと思いますので、公開します。
今回は、上の文字の部分は去年と同じデザインを用い、下の絵柄部分を新しく作りました。ウサギがモチーフなのは、すぐおわかりですね。……言わなくてもいいことだ。
基本のアイデアそのものは11月末にぼんやりと思い浮かんでいました。が、いつものことながら、実際に形作りを始めると、いろんなアイデアが出てくるものです。ウサギと言えばやっぱり月だよな、と思ってやってるうちに、そうだ、E.T. のポスターデザインをちょっとお借りしてみようという気になりました。
妻がこの絵を見て、「眉毛が気持ち悪い! ウサギはこんなんじゃないでしょ」と吐き捨てるように言いました。何を言ってるか、これがあるから面白いんじゃないか。このウサギは、ぼくなんだ! 太眉はぼくのアイデンティティなんだぞ。
そのくせ、妻はあとで「親戚あての賀状に、これ使わせてね」と言ってくるのでした。ぼくはしっかりお断りしました。
サイトリニューアル ― 2011年01月06日
3年間お休みしていた私のウェブサイト(ホームページ)をリニューアルしました。
リニューアルと言っても、まだ箱だけです。家を新築して、家具がまったく入っていない状態。これから生活(仕事)ができるように、徐々に各部屋を整えていきますので、お時間がありましたら、ぼちぼちご訪問ください。
これからは大きな流れとして、ブログを文章中心、HPをイラストなどの作品中心にして作っていこうと考えています。コメントは引き続き当ブログへ。お便り(メール)はHPからお送りいただけると、ありがたいです。
ではでは、よろしくお願いいたします。
打ち砕かれた夢 ― 2011年01月01日
新年あけましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いいたします。
年末ギリギリで年賀状を何とか投函できたのですが、今朝お雑煮を食べていたとき、年賀状の新しいアイデアが思い浮かびました。
ウサギがマンボを演奏していて「卯(ウ)!」とかけ声をかけている姿です。さっそく家族に披露しました。「これ、面白いでしょう。何かにできそう。あとで作るか」。
食器洗いや後片付けも終わって一段落、実業団駅伝を見るために、ぼくはテレビをつけました。そしたらそこにダイハツのCMが流れました。アニメでウサギがマンボを踊っていて、最後に「ウ!」と叫び、バックに大きな「卯」の字がどーんと降りてくるのです。
みごとにかぶった……ぼくの夢は元旦9時15分に打ち砕かれたのでした。子どもたちは「みんな、考えてること同じなんだよ。きっとこのCM、お父さんと同じ年代の人が考えてるよ」と言いました。
ダイハツのこのCM、今年のベストCMじゃないですかね?
生き延びるために ― 2010年12月11日
昔、兄が持っていた本の中に『生きのびるためのデザイン』(ヴィクター・パパネック著、阿部公正訳、晶文社、1974)というのがありました。読みはしなかったけれど、本棚を見るたびにこの背表紙のタイトルが妙に目を引き、言葉が心に残りました。
デザインやイラストの仕事をやっていて思うことは、デザインはただの飾りではなく、生きていくために必要なものだということです。このことを忘れないでいたいのだけど、かといって、このテーマを深刻な顔で論じ始めると、問題は変質してしまい、デザインが堅苦しくなってしまいます。真剣ではあっても、同時にリラックスした姿勢をも忘れないでいたい。
実は、私たちがやっているすべてのことは、生き延びるためのものなんだと、数年前に気がつきました。それは食べること寝ること排泄することに始まり、体を動かすこともそうだし、自然に触れることもそうだし、さらに、詩を読むとか絵を見るとか音楽を聴くという芸術行為まで含まれます。
むしろ、サバイバルというときに、一見最初に切り捨てられそうなそういう活動が、実は、生き延びるためには必要なのだと、その時思いました。それは動物とは違う人間に課せられた(特権ではなく)栄養素なのです。猫はビタミンを摂取しなくても生きていけるが、人間は外からとらなくてはいけない。そういうことと似ていると思います。
現代文明に生きている人たちは、その辺がいびつになってしまっているようです。どうでもいい部分が過剰になり、肝心なところがものすごく貧しくなっている。
数週間前、新聞の投書欄で、ある高校生が同世代の言葉遣いについて、豊かな日本語を身につけようという意見を言ってました。こういうのって、すぐに優等生的発言ととられて、同世代からは「フン!」と軽くあしらわれるのかもしれないけど、主張そのものは至極まともなものでした。しかしその投書では、なぜ豊かな日本語のほうがいいのか、という根拠はややあいまいなように、僕には思えました。まあ、そこまでは求めないでおきましょう。ぼくだって、高校生の頃は何も分からなかったのだし。
で、その投書を読んだとき、僕はふと思ったのですよ。豊かな言葉にしても、知識にしても教養にしても、それは、自分が生き延びるためにこそ必要なんじゃないかと。なぜ他者と共存した方がいいのか? その方が、あなた自身が生き延びられるのですよ、と。そのことに気づくと、生きていく真剣さが違ってくるんじゃないでしょうか。
マスメディアは若者言葉を変に持ち上げたりしないで、乏しい語彙だけでコミュニケーション(コミュニケーションとさえいえないような貧しい会話)をやってる人たちに、それは結局は身を滅ぼすだけだよということを、もう少しはっきり言った方がいいと思うのですが、大人は大人で(マスメディアも含めて)やはり語彙が貧しくて、自分の所属する狭い世界だけに通じる言葉しか話さなくて、日本語論というと、敬語の使い方や漢字の読み書きばかりに終始しています。肝心なことが見過ごされているわけです。
村上龍の新刊エッセイ『逃げる中高年、欲望のない若者』の広告を最近たびたび目にしているのだけど、広告にこんな言葉が書かれています。「成功を考えてはいけない。考えるべきは、死なずに生き残るための方法である」ぼくはこの言葉にすごく共感します。今度、この本を読みたいと思います。
村上龍さんの発言には、ぼくは共感することが多いのです。「日本には何でもある。希望だけがない」とか「敬語をなくせ」とか(いずれも『希望の国のエクソダス』より)。細かい部分での相違はあるでしょうが、僕が感じてきたようなこと、考えてきたようなことを、村上さんは言ってくれています。
「生き延びる」という言葉も、人によって定義が少しずつ違うでしょうが、とりあえず生活の中心部分においてみると、意外な発見があるのではと思うのです。
イブ讃美コンサート ― 2010年12月09日
ぼくの教会では毎年、クリスマスイブに「イブ讃美コンサート」が行われます。ソプラノ歌手、テノール歌手、オルガニストを招いての心温まるひとときです。今年はさらに特別ゲストも出演が予定されていて、一段と楽しいものになりそうです。去年からは参加者全員でハレルヤコーラスも歌うようになりました。これはもう圧巻。お時間がありましたら、ぜひご参加ください。
日本ではクリスマスは若いカップルのためのものみたいな、偏ったイメージができあがってしまっていますが、教会で過ごすクリスマスはまた違った味わいで、ふだん教会に足を運ぶことがあまりない人だったら、それこそ、こんなクリスマスの過ごし方があるんだという新たな発見があるのではないでしょうか。こういう時こそぜひ教会へ。
12月24日(金)夜7時から。
詳細は、掲載のチラシを拡大してごらんになってください。
チラシデザインの話です。
教会行事のデザインをやらせてもらっているのですが、大きなものとして5月の創立記念コンサートとイブ讃美コンサートの二つがあります。いま、日本の印刷事情は大きく変わり、4色刷(いわゆるフルカラー)印刷が格安でできるようになりました。10年前の5分の1以下。そこで、教会の皆さんの了解を得て、去年のイブ讃美から4色刷のチラシを作らせてもらうことになりました。
当然、4色になると2色刷りや3色刷りに比べてデザインの手間がかかります。しかし、やはりいろんなことが可能なので、ずっとこっちの方がいい。それに今のコンピュータのソフトは4色刷での制作を基本に作られていますから、結局はこっちの方が効率的なのです。
色はやっぱりクリスマスカラー。イラストは、お生まれになったイエスさまを拝みに来た羊飼いの家族を描きました。温かみを出したつもりですが、教会学校の行事みたいに見えるかな?
ぼくは、デザインでもイラストでも、カチカチのものは似合わないということが、数年前からわかるようになったので、隠しようもなく現れるクセを自分のデザインとして伸ばしていこうと思っています。






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