アクセスカウンターが壊れている。2013年05月04日

 今朝このブログを開いたら、アクセスカウンターが壊れているのを発見しました。いつからでしょうか?
 僕の場合アクセス数はどうでもいいので、カウンターが壊れているからと言って影響はないのですが、数字よりもむしろ、ブログに不具合があることの方が気になります。原因は何なのか。

 その後:ソースを見てみるとへんな記述になっていたので(これってどう見ても変だろうという言葉があった)、あやしいスクリプトを削除したら、他のツールが表示されなくなったり、レイアウトデザインがおかしくなったりしたので、カウンターそのものを削除しました。どうやらこれで大丈夫そう。
 もうカウンターはつけません。アクセス数は僕にはさして重要ではないので。

スティーヴ・ジョブズが亡くなった!2011年10月06日

 今日一番の衝撃のニュースでした。スティーヴ・ジョブズの死去。最初、Facebook で友達のポストを見て、えっ、うそ? と思いました。すぐにあちこち検索かけてみたら、BBC News に出ていました。
 今日は一日Facebook でもTwitter でもその話題が駆け巡っていました。ぼくも気になることをあれこれ語りました。Twitter では僕自身は何もしていないけれど、HPをのぞくと、Trends の言葉の8割くらいがジョブズ関連で、娘は一時期繋がらなかったと言っていました。
 いやー、信じられない。早すぎる。ビル・ゲイツと同い年。ぼくの、一つ上で、とにかく同世代ですよ。ガンの状態がかなり悪化しているのだろうなあとは思っていたけれど、8月にCEOの座をティム・クックに譲り、昨日、iphone 4S を発表したばかりでした。あまりにも劇的な幕切れ。しりぞいてもしばらくはアドバイザーとしてアイデアを出してくれると思っていましたけれどねえ。
 あれだけの革新的なことを成し遂げた人ですから、そりゃあクセも強かったろうと思いますが、そんなのはあたりまえのことでしょう。とにかく、オバマ大統領もコメントしたとおり、世界は偉大なVisionary (先見の明を持った人)を失いました。
 ぼくは昔も今もMac ユーザーです。コンピュータが好きなのではなくて、Macintosh が好きなのです。パートで勤めているNCCの事務所ではやむをえずWindows を使ってますが、使えば使うほどWindows のダサさにため息が出て、「マック命〜!」ですよ。
 iPad もiPhone もまだ使ってないけれど、Macintosh だけでも存在意義は大きかったと思う。iPhone はソフトバンクの独占でなくなり、au でも近々販売されると聞いて、あ、それなら買い換えようかと思っていたところです。
 しかし、Steve Jobs のいないApple はこれからどうなるのだろう?


Skype と Twitter2011年05月21日

 娘が最近スカイプで大学の友達と話をしてます。スカイプは複数の人と同時に話ができるらしい(ぼくはまだやってないのでほとんど知りません)。それから、ツイッターも結構盛んにやっています。アドビのCS はぼくがまだ4なのに、娘は5を使っています。この差はなんやねん。
 スカイプを僕がやろうと思うと、カメラがいるので(本当はなくてもできるらしいのだけど)まだやりません。でも、もし映像が映ったら、この部屋も僕の顔も人に見せられるようなものではないので、とても始める気になれません。

 ツイッターは春に始めましたが、この文字数の少なさは、やはりぼくの性に合わないので、これまた使う気になれません。今まで4つほど出したツイートも全部消しました。フォロワーが一人(1団体)しかいないという誇らしい状況です。
 ところでこのツイッター、英語より日本語の方がはるかにたくさんの情報を詰め込めるのがいいですね。そこは漢字が使える日本語の有利性だと思いました。英語じゃほとんど何も言えない。と言っても、たいした英語力がないのなら、その程度で十分かもしれませんが。

 Facebook はそれなりの楽しみ方・使い道があって、面白いですね。どんなことでもぼくは、のめり込む性格ではないので適度に距離を置いてやってますが、クセを知れば顔本ともおつきあいはできそうです。

 しかし、今日も朝から暑くなりました。今年は5月らしい天気が少ないので、こんな日はちょっと心ウキウキです。

Facebook の迷惑アプリ2011年02月23日

 先月末に始めたFacebook 、現在少しずつ中身を充実させています。
 出身校のキーワードやぼくのアドレス帳から検索をかけたら、知り合いが次々に出てきて、友人リストも少しずつ増えています。

 Facebook の使い方は、Facebook の中にある解説を見ながらやっているのですが、やり方がよく分からないものもあります。試行錯誤の末、思っていたことが実現したものもありますが、その過程でちょっとした失敗もあり、迷惑アプリに引っかかりました。アプリケーションそのものは一応まともなのだろうけれど、詐欺まがいの普及のさせ方をしていて、迷惑なのです。
 Friends Photos というアプリなのですが、最初、ぼくのリストにあった友人から推薦されてきたので、何の疑いも持たず、それを採用しました。ところがこいつは、いったんアカウントに入れると、ぼくの意思に関係なく、勝手にぼくのリスト内のメンバーに紹介していくのです。で、ぼくと同じようにそれを信じた人たちが、そのアプリケーションを使うようになるんですね。非常にたちが悪い。「Facebook ユーザーの91%の人がこれをいいね!と言ってます」って、なに言ってんだ、このやろ。と、ぼくは悪態をつくのでした。
 さらにもうひとつ、そのアプリを開くと、上の方に画面にかぶさるように広告が出ていました。文字が隠れて読めないので、何とか削除しようと広告の画面をあちこちクリックしていたら、間違って広告上のゲームソフトが開いてしまいました。巧妙な手口でクリックさせるように考えてる。こうやって人のアカウントに侵入するんだ。

 この両方を削除するのが結構大変だったのです。ぼくはFacebook 言語設定を英語(米語)にしているものだから、英語の説明を理解しなくてはいけない。苦闘しながらも、少しずつ利用法を習得しています。言語を日本語にすれば楽になるのかもしれないけれど、やせがまん。その分失敗も増えるし、いろんなことが遠回りになっちゃうのですけどね。
 まあ、でもいいのですよ。Facebook そのものはなかなか面白いと思っています。IT にトラブルや失敗やつきもの。何でもそうですが、要は使い方次第。振り回されないことです。

Facebook 始めました2011年02月04日

 月曜日(31日)にFacebook のアカウントを作りました。ITの潮流に乗ることにぼくは慎重な方ですが、これはちょっとやってみることにしました。
 きっかけは、「ソーシャル・ネットワーク」という映画が封切られたからではありません。月曜日に出席していたNCCドイツ教会関係委員会で、若い牧師から出てきた「ドイツの教会関係者たちと仕事をしていると、Facebookのアカウントを持っていないとやりにくい。持っていないのかと、しょっちゅう聞かれるんです」という発言でした。
 では、facebookを持つのと持たないのとではどういう違いがあるんですか?と聞いたら、電話が発明される前と後のような違い、という答えが返ってきて、びっくり。さらにfacebook は名刺のようなものだ、とも。

 以下、インターネットの記事なども参考にしながら話を進めます。
 日本でSNS(ソーシャル・ネットワーク・サービス)として一番普及しているのはmixiだそうです。それに対し、Facebook Japan の代表は facebook を次のように定義づけています。
 ●FacebookはSNSではなく「ソーシャル・ネットワーク」
 ●Facebookはウェブサイトではなく「インフラ」
 ●Facebookは内輪の友人の集まりではなく「名刺」
 なんだか、だんだん facebook の回し者っぽい記事の書き方になってきたな(笑)。
 この定義の基本となるのが「実名登録制」なのだそうですが、実際には実名を知らせないことも可能(やってみてわかりました)。でも、それではfacebook を使う意味がなくなってしまい、だったら別に mixi でいいんじゃないの、ということになります。

 先月も新聞に、世界でfacebook がまだ普及していない国は日本とどこかの国(ロシアだったかな?)という記事が出ていましたが、日本はあらゆる点でガラパゴス化しています。それはそれで独自の文化を発展させたりもするし、マンガやアニメのように、日本のガラパゴス現象は、むしろ多様性という点で、世界で生き残るための重要な要素なのだから、面白いとは思うのだけど、どうも日本人の精神は常に常に内向きになってしまう傾向があって、ときに弊害を生みます。
 逆に外国で発祥したもの——食べ物でも服でも音楽でもシステムでも——を日本で普及させようとすると、日本人独特の感性に合わせる努力が必要になるのですね。いや、繰り返しますが、それはそれでいいのです。日本の中で暮らしている限りは。かつての何も考えない欧米志向なんてのは今思えば、愚かな部分が多々ありました。
 大切なのは、日本国内に住んでいるとしても、日本の独自性を十分に意識しつつ、どこまで目や気持ちが外界に向かって開かれているか、です。余談ですが、日本人は外国に対してだけでなく、日本人同士でもちょっとした差異を見つけてはさまざまな囲い込みをやって、内へ内へと縮んでいくんですね。それが息苦しさを生んでいる。

 ブログの世界では、今や日本語の使用が全体の37%に達していて、英語使用率を抜いているのだとか。もちろん、ほとんどが日本国内での使用です。つまりブログは日本の中だけで異常に流行っている。一方、世界はブログではなく、twitter や facebook の方にシフトしているのでしょう。
 ぼくがtwitter をいまいち使う気になれないのは、使用文字数の少なさです。140字でのコミュニケーションはぼくの感覚とは相容れません。昔から掲示板や mixi などで一言だけのおしゃべり言葉が行き交うのって、だから何なの?という気がしていました。

 では facebook になるとどうなるのか。正直ぼくにも分からない部分が多いのですが、ひとつ決めているのは、内輪のおしゃべり空間にはしないということ。
 てなわけで、さあ、どうなりますか。すぐに「やーめた」ってことになるかもしれません。飽きっぽい僕のことだから。

これは赦せない2009年11月12日

人なつこい猫でした
 えらくご無沙汰しちゃいました。なんだかんだでもう11月半ば。
 さて、僕のコンピュータのことですが、アドビのCS4を買いました。そしたら、Photoshopがスキャナーを認識しなくなっちゃって、またそれでひと苦労。もう一つの職場でもコンピュータとインターネットで今さんざんな目に遭ってるから、ちょっとうんざりです。
 ご無沙汰している間に、いろんなことが世間では起きてます。うれしいニュースとしては、ヤンキースがWシリーズで優勝して松井選手がMVPを受賞したことです。これは感動もので、書きたい感想がたくさんあるんです。でも、書こうと書こうと思っているうちに、1週間が過ぎてしまいました。

 いやなニュースはたくさんあります。心が痛くなるようなことがいっぱい。その中でひとつ、ぼくの仕事と関連して、これは赦せないと強く思うのが、あの市橋です。被害者ら女性に近づく手段として似顔絵を描いていたというのです。おい、絵をそういうことに使うなよな、と言いたい。
 テレビで、彼が描いた被害者の似顔絵が映し出されました。確かに絵を得意にしているのだと言うことはわかる線です。慣れたペンさばきではあります。しかし、それだけのことで、僕個人の好みで言えば、温かさの感じられない、薄っぺらい線です。だからどうなの?って言いたくなるような。
 僕は気心の知れた友人や、電車の中で見知らぬ人たちをスケッチするけど、いつもその人たちのいいところを見つけたいと思いながら描いてるんですよ。市橋みたいな目的で絵を描くなんて、悪趣味以下ですね。

 と、この事件について語り始めると心が寒くなってくるので、今日は、かわいい猫の絵を。これまた、掲載しようと思いながらひと月たってしまったものの一つです。

新しいMacをまた2009年09月22日

 この連休中、すべて仕事です。そしてこのクソ忙しいときに(まあ、なんてお下品な)、ぼくは新しいMacを買いました。今まで使っていたMac mini のアップグレード版です。OS Xもまもなく今月発売されたばかりのSnow Leopard(10.6)にする予定。
 土曜日に届いたPCを日曜日夕方から設置し始めたのですが、翌日の午前中まで、2時間睡眠で、通常どおりに仕事ができるレベルまでに設定を整えました。何しろコンピュータがなくてはぼくの仕事はまるっきり手も足も出ないので、設置で時間を食ってるわけにはいかない。そしていつものことながら、コンピュータというやつはやっかい。マニュアルの指示どおりにいかないことはしょっちゅうです。意外なところに意外なトラブルが潜んでいる。それらをひとつひとつ乗り越えるのもひと苦労。
「ほんとにコンピュータってのは便利なのか? 文明の利器なんて言うけれど、人間は自分たちの作ったものに振り回されているだけじゃないのか」などと文学的哲学的呪いをブツブツつぶやきながら、しんどい作業を続けていきました。
 心身ともにすり減らす仕事なのですが、中には自分で推測して見つけた解決策もあって、そんなときは「おー、ぼくって理系だな」なーんて、勝手に有頂天になったりして。

 前回新しいPCに換えたのが3年半前。その前にG3を10年使っていたことを考えると、ぼくにしては今回かなりサイクルが短くなったのですが、今この時期になんで購入したかというと、大学のデザイン情報科で学んでいる娘が、課題を制作するのにPCが必要になったからです。娘のMac はなんとiMac OS9。すごいでしょう。さすがに限界でした。ときどき僕のを使わせていたけれど、僕も仕事いなきゃいけないから、ときに時間がぶつかることもあり、もう観念して買わなきゃいけないかな、と決心した次第であります。
 もちろん新しいのは僕が使い、古いのを娘に譲りました。「えー、それってビミョー」なんて不満そうだったけど、当たり前だろ。何でプロの父親より学生の娘の方がいいのを使うんだよ。これだって十分に仕事はできる。最新のが欲しかったら、自分で稼いで買いなさい。と僕は言ったのでした。
 だいたい美大は一般大学より学費が高いのです。ところがその中でもデザイン情報科というところはPC を使うものだから、そっちでも思わぬ出費がかさむことがわかりました。もー、まったく。

 入ってみて 初めてわかる 事実かな

 てなわけで、処理速度の速くなった新しいMacで、少しでも多く仕事をこなしていかなくてはいけない雑虫なのです。

マッキントッシュとキリスト教と伝道2009年07月11日

 コンピュータのマックユーザーで、熱心にマックの良さを人に伝えたがる人は多いようです。そう言う人たちのことをマック伝道者(Mac Evangelist) と呼びます。アップルからお金をもらっているわけでもないのに、人にマッキントッシュを勧めたくてしょうがないんですね。
 ぼくも最初からマックひと筋です。最近、諸事情のためウィンドウズも使っていますが、実際に仕事をしていると、やっぱりマックの方がはるかに素晴らしいと思います。使い勝手も画面の色も違います。デザインや美術関係の分野でも近年はウィンドウズが多数を占めるようになったらしいけれど、ほんとうにいいデザインをしたいのならマックを使いなさいと、ぼくは言いたい。娘にもそう話しています。
 ウィンドウズは世の中の9割くらいだろうから、こちらを使えるようにするのは必要ではあるのですが、ぼくの場合、メインはどこまでもマックです。

 マイナーであることを認めつつ、でもマックの良さを伝えたいと思う。それは何が何でもこれが絶対だというのではなく、マックって、こんなにいいところがあるよ、とぼく自身が感じているからです。これじゃなきゃダメだなどとは思っていません。
 そんなことを考えると、実はこれ、キリスト教の伝道にかなり似たところがあるのです。キリスト者も少なくとも日本では1%に満たない超少数派です(ぼくはどうもマイナーなものを選ぶ癖があるようです)。
 コンピュータと違って、宗教の伝道で危ういのは、ややもするとそれを絶対化してしまう点です。キリスト教など聖書の宗教がそういう傾向をもともと持っているのは確かで、時にそういう、いわゆる熱心な信仰者たちを見るのですが、それが逆効果なのは間違いありません。特に日本では。自分で考えることをせずに宗教の権威だけにすがるような態度では、まともな感覚を持つ人をますます遠ざけていくだけ。
 で、ある時ぼくは、キリスト教の伝道について、マック伝道とのアナロジーを見つけました。5年以上前のことです。そうか、マッキントッシュの良さやおもしろさを伝えるように、キリスト教の良さやおもしろさを伝えればいいんじゃないかと気がつきました。気後れもせず衒いもせず。
 まあ、マックについてもキリスト教についても、ぼくはあまり熱心な伝道者ではありませんが、基本姿勢はそうありたいと思うわけです。
 と、こんなことを言うと、この手の話題はまた議論百出で、右からも左からも責められたりしてね。