マラソンをやってる意味2013年03月10日

 
どのあたりを走ってるときかな


みんなで万歳

 東京マラソンの写真ができてきました。そのうちの2枚を掲載します。
 下の写真はいかにも東京マラソンらしい様子がわかる映像ではないでしょうか。たまたま僕自身がいい位置で撮ってもらえたこともあって、気に入っています。

 なんだかんだ言って、ランニングを本格的に始めてから丸5年が過ぎました。ときどきこのブログにランニングやマラソンの記事を書いていますが、僕がマラソンの話を通じて皆さんに一番伝えたいことは、僕自身の生活がマラソンに 支えられてきたということ。だから僕にとって走ることは他者との競争や比較ではなく、自分という人間と対話し、しかも社会ともつながることのできる、価値のある活動なのです。今では必要不可欠な、生活の柱の一つとなっています。
 以前に話したかもしれませんが、僕がランニングに関して持ち続けている確信は、ランニングは心身を健全にするという真実です(ただし、あくまでも市民マラソンのレベルの話です)。その確信の裏には、もし僕が5年前に走っていなかったら、鬱になっていたかもしれないという事実があります。
 そもそも走り始めた動機も、息子の都立高校不合格という憂鬱な理由からでしたが、それ以後、走ることを習慣にしていく過程で、心をふさがせるようないろんな出来事に遭遇しました。ところがそんな日々でも、ルーティーンとしてランニングをすると、走り始めてしばらくして、それまで鬱々と沈んでいた心が嘘のように晴れ渡ったのです。そんな感覚をたびたび味わいました。体と心がこんなに密接に結びついているんだという驚きがありました。
 僕は、絵画と言葉とランニングに救われていて、この3つによって自分の精神と体が形づくられているのです。
 ランニングで救われたという記憶が、今も僕を走らせています。これは何ものにも代え難い経験です。理屈ではない。単に健康のためなどという単純な理由ではありません(もちろん、健康は大切ですよ)。だから、僕はまわりの人たちにも、もし怪我や病気などの重大な支障がないのであれば、ぜひ走るといいですよと、お薦めしているのです。歩くだけでも全然違うと思う。
 
 余談ですが、息子が都立高を落ちなかったらマラソンはやっていなかったでしょうね。その意味で、あの出来事には感謝しています。あのときマイナスに思えたことがプラスに転じたのだから。息子も今は念願の大学に入って、充実した学生生活を送っています。

 今、僕は今月24日に行われる板橋シティーマラソンに向けて準備を進めています。

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