「東京物語」その2 ― 2012年02月04日
「東京物語」の作品についてではなく、当時の日本について、ちょっとお話しします。
この映画は1953年(昭和28年)の作品です。僕が生まれたのは1956年ですから、幼いころの風景が映画の中のあちこちに出てきて、懐かしく思いました。しかし、ではあの頃に戻りたいと思ったかというと、そうでもないというのが正直な気持です。人は昔を美化して記憶する傾向がありますが、当時の映画を見ると、自分の都合のいいように過去をアレンジして記憶していることが改めてわかります。自分にとっていい想い出ではないことも、そうか、そういえばこんなこともあったんだと、
思い出しました。
たとえば、主人公の老夫婦が熱海の温泉に泊まった時のエピソード。夜、別の宿泊客たちがおおぜい麻雀をしているのです。たばこの煙が部屋中もうもうと立ちこめていて、ジャラジャラと牌をかき混ぜる音が響き渡っています。旅館の外からは芸人グループが歌謡曲を歌っている。そのせいで、夫婦は眠れない一夜を過ごすのです。
ぼくが子どものころ、父親がしょっちゅう人を家に呼んで麻雀をしていました。2階の自分の部屋から1階にあるトイレや居間に行くにはどうしてもその部屋を通らなければならず、ぼくはそれがいやでした。たばこの煙も牌をかき混ぜる音も。でも、当時は社会全体がそういうことを許容していたわけです。大人の世界はそういうものだと思っていました。
老夫婦は宿泊客たちの騒音を旅館に訴えるわけでもない。ひたすら我慢するのみ。すべては自分たちの胸の中に収めます。今だったら、当然の権利として旅館側にクレームをつけてもおかしくないような事態です。
この映画は社会や特定の人間を批判的に描いているわけではありません。それがテーマではないのです。だから、これはあくまでも映画を見て、ぼくが個人的な思い出に結びつけて抱いた感想です。今や麻雀人口はすっかり減ってしまいましたが、ああいう世界に戻りたいとは思わないのです。
かと言って、今がいいとも思っていません。人は何かを得る代償として何かを失うものです。だから過去を振り返ることもなく、ただ時代の流れに身を任せる生き方も良くないけれど、むやみに過去を美化して懐かしがるのも間違っていると思うのです。
ぼくは年齢を重ねるうちに「歴史は発展する」という考えはある意味幻想なのではないかと思うようになりました。社会も人も「変化」するだけで、必ずしも「発展」しているのではないということです。少なくとも、発展を素朴に信じきるのはやめたほうがいいだろうと思っています。
要するに私たちの生きるこの世界は、いつの時代もいいことと悪いことが共存していると言うことです。そして私たちはそれに巻き込まれながら、あるいは利用しながら日々を生きているわけですね。だとすれば、私たちはちょっと落胆しながら、でもちょっと希望を持って、閉じこもらずに着実に歩き続けていけばいいのではないか、それができるんじゃないか、と思うのです。
「東京物語」は、日本の社会がどれだけ大きく変わったか、ということと同時に、日本人のどういう部分が(精神的にも物理的にも)変わっていないかを示してくれる、すぐれた作品なのです。
小津安二郎「東京物語」 ― 2012年01月29日
ぼくはこの一年間、教団出版局の「こころの友」という紙面で「アジア映画を楽しむ」という連載記事を書いていました。アジア映画のDVDを毎月1本、キリスト教の視点から眺めて紹介するというものです。この3月で終了し、4月からは別の連載を担当させていただくことになりました。そのことは 稿を改めてお話しします。
さて、アジア映画紹介の仕事をする中で、気がついたことがありました。
もともとぼくは、どの国と言うことは関係なく、家族ものに弱いということを数年前から感じるようになっていました。さらにもう一つ。演出過剰なものよりも淡々と物語を進めていく作品の方に惹かれる傾向が、近年強くなってきていました。年齢のせいもあるのでしょう。
そして、邦画、洋画、アジア映画を問わず、ぼくが好きになる作品の共通項に、あるとき気づきました。それはそれらの監督が小津安二郎の影響を受けているということです。
韓国の「八月のクリスマス」(ハン・ソッキュ主演)は素晴らしい映画ですが、この映画のホ・ジノ監督も小津のファンであることを公言しています。
小津安二郎の名前はもちろん知っていましたが、僕自身はるか20年以上前に「東京物語」を見ただけで、まったくといっていいほど知りません(もう1本、NHK-BSで何か見ましたが、途中で見るのをやめた)。
その「東京物語」を見たのは、フランスのリヨンという街ででした。当時ぼくは22歳。洋画の方がはるかに好きだった当時の僕としては、つまらないわけでもなかったけれど、逆に、ものすごく面白いと感じる映画でもありませんでした。
邦画だったらやっぱり黒澤明の方が好きだったのです。見ていて飽きないワクワクする映画。それに比べて、小津の映画はあまりに静かすぎて、よくわからない。その良さが分かるようになるには年齢を重ねる必要がありました。そんな小津の映画が、去年からにわかに気になり始めて、もう一度見たくなったのです。もしかしてぼくは小津安二郎の映画が好きなのかもしれない。それを確かめようと。
で、きのう見ました。DVDで(380円で買えます)。良かったですよ。やはりこれは名作です。
22歳で見るのと、55歳で見るのとでは、見えてくるものがこんなに違うのかと思いました。あのころの僕は、この映画を単に親子の葛藤とか世代間のギャップを描いたもの、という程度にしか捉えていませんでしたが、そうではない。老いることや家族というものについて透徹した目で見て描いた、奥の深い作品だったのです。演出も演技もすべて抑制されていて、わざとらしさが一つもない。話の展開にこれといった起伏はまったくなくて、そこに出てくる人たちは、あなたや私であり、私たちのまわりにいるリアルな人間たちです。
今の時代、こういうのを作っても興行成績の点ではまったくの失敗に終わるでしょうね。だから今は、こけないために「ALWAYS 三丁目の夕日」みたいな、素人向けの手垢のついたストーリーや演技や演出の映画を作らなくてはいけなくなるのでしょう。
この作品に匹敵する質を持つ最近の邦画としてあげられるのは、是枝裕和監督の「歩いても歩いても」だと僕は思っています。「おくりびと」は好きな映画ですが、泣かせの演出や海外で受けようとする作為がちょっと見え隠れするのです。
この話題は、また 次回にまた取り上げたいと思います。
荒川30K マラソン 雨ニモマケズ雪ニモマケズ ― 2012年01月22日
久しぶりの記事です。今年まだ2つめか。いかんなあ。
さて、きのう(21日・土)、荒川30Kマラソンを走ってきました。30Kという文字でおわかりのように、走ったのは30キロです。
もう最悪の天候。気温は恐らく5度以下。時折、雪やみぞれや雨が降り、シューズはぐちゃぐちゃ、手の指先と足先はかじかみ、メガネには水滴が。どのランナーからも白い息が見えます。走ってても、汗なんか全然出ません。走ることで体温が維持されている感じでした。だから逆に、走り終わったとたんに体がどんどん冷えてきて、凍えそうでした。
去年は25キロ過ぎで足がつってしまい失速したので、今日は慎重にペース配分を考えながら走ってましたが、寒さのために筋肉が収縮したようで(それだけじゃなく、練習不足も原因でしょう)、やっぱりつりぎみになって、結局、失速。ほんと、きつかった。終わってみたら、去年より記録を落とす結果になりました。
異常乾燥注意報がひと月以上出ていた東京には久しぶりのお湿りでしたが、マラソン実施日ドンぴしゃのタイミングで雨を降らせてくださった神さまは意地悪でございます。
走るたびに毎回思うことですが、フルマラソンはハーフの単純な倍ではありません。20キロ過ぎたらまったく別物。とくにぼくみたいに、日ごろそんなに走っていない人間にとっては、20キロ過ぎてからのきつさは尋常ではありません。マラソンは30キロ過ぎが勝負と言いますが、トップアスリートと僕のようなジョガーとでは、言葉の意味するところがまったく違っています。でもそれはやっぱり、どちらにとっても真実です。
つまり、トップアスリートにとっては、他の競技者との駆け引きやラストスパートでどう勝つかという意味の「勝負」なのですが、僕のような素人には他者との勝ち負けではなく(だって、もうどうがんばってもスピードは上がらないのだから)、ちゃんと最後まで走りきれるかどうかという意味での「勝負」なのです。
年末からランニングの回数はかなり復活してきましたが、1年前の状態には戻っていません。スピードも筋持久力も。走らなくなれば、もろに結果に表れます。何でもそうですね。力を維持する、あるいは伸ばすというのはほんとうに大変なことです。きのうのマラソンの終盤、これじゃあフルは走れないなあと、がっかりしてゴールしました。
3月にフルに出場予定です。何とかそれに向かって準備していきます。
年始のご挨拶 ― 2012年01月01日
ゆく年、くる年、また走る敏 ― 2011年12月30日
いよいよ今年も終わりです。昨日、年賀状の印刷が終わりました。今日は一言を添えて宛名書きをする予定です。結局、毎年
ギリギリになって作っています。以前は、イラストレーター・デザイナーなのに、こんなんじゃだめだなという出来が多くて、いつも情けない思いをしていたので(あーあ、自分の実力なんてこの程度か、と)、近年は少し力を入れるようになりました。
びっしり描き込むかどうかよりも、アイデアとセンス、そして全体の仕上がりがプロとしての最低ラインをクリアしていること、それが重要です。
年があけましたら、去年と同じように、年賀状をこのブログで掲載いたします。
年末に生真面目・深刻な話で締めくくるのもどうかとは思いますが、どうしても一つ整理しておかないといけないと思っていることをお話ししたいと思います。これは独り言です。ですからつまらないと感じられたら、お読みにならなくて結構です。
この一年、やはり大震災と原発事故が僕の上に大きく覆いかぶさっていて、日本全体もそうだろうけど、僕自身の生活や仕事にもその影響が出ました。それはこれからもずっと続くでしょうね。物理的にも精神的にも。
直接被災したわけじゃないのに、重苦しい鉛のようなものがずっと心のどこかにのしかかっている日々でした。……でした、と過去形にできればいいのですが
、まだ続いているかもしれません。
特に大きく重くのしかかったのは原発事故で、その後の日本全体の動きを見ているうちに、日本人の意識構造が戦前からほとんど変わっていないんじゃないかという思いにとらわれるようになりました。以来、政治にもマスメディアにも強い不信感を抱いています。以前にも増して、テレビを見る気がしなくなっています。
日本にほんとうのジャーナリズムはないのかもしれない、という確信を抱くようになりました。原発に関して、メディアは政府の大本営発表を垂れ流すだけ、そして「国民」はそれを疑いもせず(いや、疑っている人は間違いなくいたのだけど、耳を貸す人は少なかった)、将来は大丈夫と、根拠なく信じて暮らして来たのですね。それはまったく戦前と同じではないかと思っています。
自分も含めて、あの敗戦から日本人は何も学んでいなかったのかと、ちょっと絶望的になります。
でも、実は希望もちゃんと持っているのです。まるっきり悲観的になってるわけではありません。現実を直視しながら、でも希望を持ち、行動する、ということですね。それが大事だと思っています。正しくものが見えて、しっかりと行動している人はたくさんいるし、まわりや目の前のものをきめ細かく見ていけば、可能性はそこらじゅうにあることがわかります。そして、もう一つ重要なのは、歴史から学ぶことでしょうね。そのことが、指針を示してくれるのです。
今年、エントリーしていたマラソンが3つとも大震災のために中止になり、どこかで少しずつ走る意欲を失っていました。忙しさを口実に、走る回数を減らしていました。完全にやめてはいませんでしたが。
でも、年の暮れにまたランニングを復活しています。以前の状態に戻りつつあります。新しい年には「また走る敏」でやっていきます。
このブログを訪れてくださる皆さま、今年一年もありがとうございました。心から感謝いたします。どうぞ来年もよろしくおつきあいください。
2012年が皆さまにとっても実りのある年となりますように、お祈りしております。
「絆」か…… ― 2011年12月13日
今年の漢字に「絆」が選ばれましたが、ふーん、そうかなあという今ひとつ納得できない印象があります。無理してるというか、現実とはずれているような気がします。
今年の流行語が「なでしこ」だったというのも変な感じでしたね。もはや数年前から、流行語大賞の流行語は流行語ではなくなっていると思います。正直なところ、今年の流行語は、ものすごい皮肉だけど「健康にただちに影響はない」だったのではないでしょうか。しかし、そのことを表立って言うことはできません。「絆」もそうだけど「なでしこ」も、夢や希望を持ちたいというみんなの理想としての言葉を挙げているだけですね。
震災や原発事故があまりにも巨大で深刻で、日本人全体がおろおろしている実態を、むしろ露呈しているようにも思える、これらの選考結果でした。
無防備であること ― 2011年12月07日
数年前まで、夏になると、子どもたちの夏休みの宿題を兼ねた楽しみで、チョウやガやアブラゼミの羽化の観察をしていました。これがなかなか面白い。生命の神秘を学べます。
季節外れの話題でごめんなさい。
夏の夕方、家の近くを歩いていると、暗がりの地面を這っているセミの幼虫をたまに見つけます。つかまえて持って帰り、カーテンや植物の幹につかまらせると幼虫は登り始めます。ある高さまで来ると(どの高さという法則があるのかどうか、わかりません。ほっとくとどんどん登ってしまうこともあります)、ふと止まって、しばらくじっとしています。
やがて背中が割れて、成虫が中から出てきます。その様子をカメラやビデオで撮影するのは結構忍耐を要する作業です。3年前に撮影した写真を掲載しておきます(ピンぼけですが)。
出てきたばかりの成虫の羽は、白くてクチャクチャです。体も薄茶色。黄緑に縁取られた半透明の羽がとても美しいのですが、同時にその柔らかい体は、たやすく殺せるくらいにか弱いものです。
完全に体が出たあとも数時間、セミは抜け殻にぶら下がって、羽が伸び、体ができあがるのを待ちます。この時間がとても大切なのです。チョウもそうですが、羽が伸びるのに十分な空間と時間がなければいけません。その間、成虫は何もできない。ただ、待つだけです。
いつもいつも成功するわけではなさそうです。わが家で飼っていたカブトムシの1匹が、サナギの時に部屋作りに失敗し、土の中に広い空間をなかったために羽を伸ばすことができず、羽化のあと数日で死んでしまったこともありました。羽化がどれほど大変かを知らされました。
ぼくはそれらの観察でわかったのです。生き物は、生きていくための非常に重要な行為、たとえば誕生(親の立場で言えば出産)、孵化、化、睡眠、あるいは生殖、といった場面では徹底して無防備であり、誰かに守られていなかったら生き延びることができないのだと。これはあたりまえのように見えて、実はあたりまえではなく、見過ごしてしまう真実だと思いました。
よく人は「自立」ということを口にします。いつの時代からでしょうか。一人で生きていくことが大切で、強くなくてはいけないという前提が自明のこととされて、言葉の吟味もあまり行われずに、自立が論じられる。しかも一部の人たちは、自分たちが生まれてからずっと自立して生きてきたと錯覚して、その考えを人にも強要したりします。
でも生命の本質的なあり方として、人間を含めたすべての生き物は、守ってくれる存在を必要とするのです。そのことを見過ごして「自立」を語るのは、どこか的外れなんじゃないかと、ぼくはこの頃から考えるようになりました。
生物たちは、生命の節目節目で無防備になることをわかっていて、敵に襲われないように工夫して生きています。そしてそのリスクの高い時間だけは、どうしても何かに身を委ねて過ごさざるを得ないわけです。
私たちは守られなければ生きていけない。生きることは
そのまま、守ってくれる存在を必要とする
ことなのだと思うのです。そのことに思いをはせることができるかどうかで、世界の見え方と過ごし方が、実は大きく違ってくるんじゃないでしょうか。
被災地支援Tシャツ ― 2011年12月03日
日本基督教団西東京教区から、東日本大震災被災者支援Tシャツを販売することになり、デザインを担当させていただきました。最初に話が来たのが10月末、それから1か月以内にデータを仕上げるというものすごい急な仕事で、他の仕事も抱えていたため、スケジュール
的にはかなりハードでしたが、先月末にデータを予定どおり無事、入稿しました。
Facebook ではすでに
6日前(27日)に報告しました。Tシャツの製作は韓国の会社。生地がなかなか丈夫で、安くてお買い得です。納品は今月20日の予定です。どれも1枚1500円。
簡単にデザインの解説をいたします。
上の切り株の絵は、イザヤ書11章、エッサイの株とイメージを重ね合わせ、倒れた切り株から伸びてくる、復興の希望を表しています。これが今後、西東京教区の被災者支援のシンボルマークになるかもしれません(そういう意見が出ています。決定ではありません)。
下の花の絵は、サムエル記3章10節より。「僕(しもべ)は聴いています」を下敷きにして、被災者の声(と神様の声)に耳を傾けることで寄り添う姿勢を表しています。視覚的には「ルビンの壺」をモチーフに、対話の顔と希望の花を表しています。
自分としてはできあがりに満足しています。自己満足に陥らず、なるべくみんなに着てもらえる絵柄を作ったつもりです。
現物が届いたら、また掲載します。




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